シリアスゲームとの出会い

5日に、ホームページ公開と同時にブログも公開させて頂いてから、多くの方から「シェア」や「いいね」「リツィート」および、協力・応援のメッセージを頂きました。

 

皆様、本当にありがとうございました!

心から感謝しております!

 

まだ始まったばかり、これからが「現実」を知ることになると思います。

それでも「ゲームの力」を信じて果敢に挑戦していきたいと考えています。 

 

私はシリアスゲームが日本でも大きな市場になり、大きなビジネスになると心から信じています。

それを抉じ開けて行きたいと考えています。

 

今後ともご注目頂けますと幸いです。

 

■CEDECで開催されたラウンドテーブル

初めて「シリアスゲーム」について知ったのは、12年ほど前になるかと思います。

このとき私はカミナリに打たれたように、心から感動しました。

 

当時、東京大学で開催されたCEDEC(Computer Entertainment Developers Conference:日本では最大のゲーム開発者向けのカンファレンス)で、シリアスゲームのラウンドテーブルというのがありました。たまたまセッションまでの時間が空いていたので参加したのがきっかけでした。

 

このシリアスゲームのラウンドテーブル開催者が、この度メッセージも頂きました「藤本徹」先生でした。ラウンドテーブルでは「シリアスゲーム」についての説明や世界での事例などを紹介後、参加者とディスカッションをするというものでした。参加者の中には玩具メーカーの方や教育関係者も多く参加しており、通常のゲーム・カンファレンスとは違う新しいものを感じました。

 

当時は「えいご漬け」がリリースされていて、まだ「脳トレ」や「Wii Fit」が出る前だったと思います。世間では「ゲーム=遊び=悪」という風潮がまだ強い時期でもありました。

 

しかし、世界では食糧問題をゲームを使って考えさせたり、自然災害を未然に防ぐ知識をゲームを使って勉強させたりと、様々な活用がされていることを知りました。何より大学でも理数系離れを防ぐために授業で「ゲーム」が利用され、既にゲームの研究で学位も取得できるということを知り、私は大きな衝撃を受けました。

 

藤本先生は、日本で「シリアスゲーム」という分野を広げたいという思いで、このラウンドテーブルを開催したと知り大きな共感を得ました。後日、興奮が収まらず藤本先生にメールを出したのを今でも覚えています。

 

私自身も22歳のとき、メインプログラマーとしての初のプロジェクトで、SEGAから発売された電子知育玩具「PICO」のローンチ・タイトル開発に携わったことがあります。このときゲームを使っての「知育」に興味が湧きビジネスとしての魅力も凄く感じており、この経験が「シリアスゲーム」に繋がりました。

  

■点と点

しかし、興奮が収まらなかった大きな理由は他にあります。

 

 

祖母が認知症となり、中学〜高校2年のときに祖母が亡くなるまで、母親と一緒に介護をしてきた経験があります。夕飯とトイレの世話は私の担当でした。それもあいまって当時は「福祉の仕事」の道を真面目に考えていました。

 「何か人の役に立てる仕事ができれば」

 そんなことをよく考えていました。

 

しかし、中学から独学でやっていたプログラミングでゲーム開発を仕事にしたいという思いが強くなり、現在に至ります。上京しゲーム開発の仕事に付くようになってから、ふとした瞬間に何度も考えたことは

 「これは人の役に立っているのだろうか?」

ということでした。プログラミングもゲーム開発も「もっと良いゲームを作りたい」という思いから全力で走って来ましたが、30歳を過ぎたぐらいからよく考えるようになりました。

 

そんな時「シリアスゲーム」と出会い「これだ!!」という「心の声」が響きました。

 

正にスティーブ・ジョブズの講演にある「点と点」の話を思い出します。

今となれは、エンターテイメントのゲームも十分に多くのユーザーの心を救っている事例が多々あることから「役に立っている」ということはよくわかります。

 

しかし、シリアスゲームは「諸問題の課題解決を主目的」としているところが決定的に違います。「遊び」だけではないのです。藤本先生の話を聞いてカミナリに打たれたような思いになり、興奮は収まりませんでした。

 

あれから10年数年が経ち、ゲーム開発だけではなく、営業、契約、交渉、イベント、コンテスト、講演、セミナー、本の執筆、などなど多くの方のお力を頂きながら様々な経験を積むことができました。

 

今これらは私の「第2の目標」を進める準備の時間だったと心から思っています。

これらの経験をフルに活用し、シリアスゲームの成功例を1つでも多く日本で作って行ければと考えています。

 

後藤誠